ワオンプロジェクト活動報告(2007年〜2017年)

2017年04月19日

 

ワオンプロジェクト活動報告(2007年〜2017年)

ワオンプロジェクト活動報告(2007年〜2017年)

一般社団法人ワオンプロジェクト 田中冬一郎

1、はじめに
 大阪市内のマンション511号室をいわゆる“住み開き”として『日常避難所511』という名称で仕事帰りの夜8時から『都市部の秘密基地』的に開放するようにしてから5年。ほぼ毎日の様にここには様々な相談をしに“避難民”が訪れてくる。https://waon511.jimdo.com/

 いわく“デザイン会社に就職したのですが美術史を学びたくて“”芸術大学に通っているけれど、授業についていけなくて“または”企画を考えているのですが、場所や内容、資金調達をどうしたらいいかわからなくて“あるいは”公民館に施設を借りにいったけれど断られてしまって“はたまた単純に”終電逃したので泊めてくれませんか?“などなど、年齢や性別、職業などの属性は多岐にわたり、気づけば訪問人数はこの5年間でのべ約5000人を数え、しかも毎年増加しつつある。

 そして、そんな混沌とした『日常避難所511』を現在の日々の拠点とし大阪を中心に2007年から活動しているのが、2017年現在『文化のセーフティネットを創る』をコンセプトに銀行員でもある僕を代表に、書家、職人、デザイナーなど、様々な専門性をもつメンバーを中心に、いわゆる本業の合間に無理のないパラレルキャリアとして活動している一般社団法人ワオンプロジェクトだ。https://www.waonproject.com/
 
 今回は活動10年目と、団体として一つの節目を越えた事もあり、これまでの活動について簡単ですが紹介させていただけたらと考えています。それが『何かの一歩を始める人』の参考に、また大阪の10年間の文化行政史を振り返るにあたり、これまでと違う視点を提供できていたのなら幸いである。

2、契機(具体、新世界アーツパーク事業)
 さて、そもそもの話になるが、何故ワオンプロジェクトの活動を始めたか?といえば、話は10年前の2007年前後まで遡らなければならない。大学の経済学部を卒業し、そのまま銀行に新卒として就職した僕は、それまでの人生において文化芸術の専門的教育を受けた事もなく、また、たまには美術館にゴッホやピカソなどの有名な芸術家の展示に女の子とのデートで観に行く位で、お世辞にも文化芸術に特に関心があったとは言いがたい人間だったからだ。

ただこの年に、世界的に有名な前衛芸術家グループ『具体』元メンバーであった、故嶋本省三氏、また同氏が主宰する『AU』メンバーのイベントやパフォーマンスに参加した事をきっかけに意図せず偶然に交流が始まった事。http://www.shozo.net/
また、その延長として、大阪市が“これまでの文化施設の概念に捕らわれない、機動的で専門的な芸術拠点として”商業娯楽施設フェスティバルゲート内に2002年から展開していた『新世界アーツパーク事業』で活動していたダンス、映像、詩など異なる分野のアートNPOを訪れていた事が結果として、僕にとってアート、そして文化芸術への関心を深めさせ、ついには直接的に関わる契機になったからである。http://www.intelasdic.com/osaka-gengei/ap/top.html

 何故なら、当時、銀行員としてバブルの不良債権処理に関わった後に、今度はITバブルの中、新規事業担当として様々な企業を評価し融資する、いずれにしても『お金とそれに関わる人』に振り回される日常であった当時の僕は、そこで行われていた評価の定まらない実験的な作品、パフォーマンスを拝見した事に予想を越えた驚きを受けたからだ。

 既に高齢であったにも関わらず、工事用クレーンに高々と釣り上げられて、そこから絵具の入ったビンを真下に投げて作品を空中で自由自在に描く嶋本昭三氏。そして、お弟子さんでもある新聞女こと西沢みゆき氏による新聞を素材に即興で何メートルもの巨大なドレスを制作するパフォーマンス。http://shinbunonna.com/ 他にも、れぞれに自分だけの素材や手法で表現する個性豊かなAUのアーティスト達。
 そして、新世界フェスティバルゲートの各拠点のNPOが毎日展開されていた、学校の授業で学んだ事もなければ、これまでの人生で出会った事もなかった、多種多様で、そして自由かつ熱のある各アーティスト達の表現。

 平易な言い方ではあるが、それは数値化され、評価される事にしか価値はない。そんな自身のこれまでの人生、そして職業人としての『毎日の常識』を根本的に覆す体験だったのだ。そして“人が人として自由である為には、お金だけでなく、こうした感覚的な表現こそ大切にしていくべきではないか?”そんな魅力や可能性すら感じてしまったのである。(もっとも印象が強かった分、大阪市が新世界アーツパーク事業を事業途中の2007年で中止してしまった事をとても残念に思った事も当時の記憶として今も鮮明に覚えている)

 だからこそ自然な流れで、以降、嶋本昭三氏主宰のAU以外にも、幾つかのアートNPO、イベント団体で自身の専門性を活かし、企画書作成や当日進行などのボランティアスタッフとして自主的に、そして具体的に活動を応援する日々を過ごし始める事が僕にとって自然になっていく中、今度は、様々な活動初期の若いアーティストやクリエイター達との交流を深めた事で、彼らの多くが一様に同じ悩みを抱えている事を知る事となる。それが直接的な意味で言葉通り『発表場所や機会が少ない』という事だった。

”自分の描いた作品で個展をして見たいけれど、ギャラリーを使用するにはお金がない””制作作業をする為に作業場所や倉庫を探している””フリーマーケットに出展したいのだけど一時的に機材を置く場所が欲しい””イベントや企画の会議にお金のかからないスペースを探している”
 
 それらの事を”無自覚”に『自分自身の問題』としても共感し、そして、ささやかな形でも『解決する為』に自由に利用できるスペースを漠然と探し始めていた時に、大学の同級生でもある不動産会社から別口で小さな店舗物件を偶然、大阪は日本橋、黒門市場付近にて好条件で紹介してもらい幸運にも契約する事が出来たのが、今度は『ワオンプロジェクト』として活動を始める全ての契機となった。

3、活動2007年〜2012年(アトリエ輪音、ワオンプロジェクト、伝書鳩)
 結果から先に言えば、その小さな店物件、元飲食店であった場所を、僕を含めたSNSで募集した有志で改装し2007年から2012年まで5年間運営した。そして当時はまだ珍しかった多目的『日替わりシェアスペース』名称を『アトリエ輪音(わおん)』と名付けてスタートさせた場所が結果的に後にワオンプロジェクトという団体を設立する母体になった。http://waon0317.blog75.fc2.com/
 
 ここでは、運営当初から毎日、様々な若いアーティストやクリエイター達に対して『発表場所や機会が少ない』を解消する為に、個展会場やイベントスペースとして場所を無償で提供してきたが、結果としてその事が周辺の商店街他、様々な地域団体からブース展示やライブパフォーマンス、ワークショップなどの形で地域の『まちおこしイベント』の相談や参加を数多く依頼される事になったからだ。
 
 そして、それらに協力させていただく中で、気づけば“若手アーティスト、クリエイターのインキュベーション団体”と外部に紹介される機会が増える中、『アトリエ輪音』という場所としてだけでなく、『ワオンプロジェクト』と新たに団体名も名乗る事が、単にメンバーの中で”言い出しっぺであり、同時に年長者だった”だけの理由でその時に『代表』になった当時の僕にとっても自然に思われたからである。

 そうして『アトリエ輪音』という場所と『ワオンプロジェクト』という団体としての活動がしばらく並行して継続していく過程で、今度は新たに『企画団体』の一つとして関わる事になったのが、大阪市がアートNPOと共同で2006年より取り組んでいた『芸術系NPO支援育成事業』のノウハウを引き継いで、市の直轄事業として2010年に新たに中之島に開設したアートインフォメーション&サポートセンター『中之島4117』だ。https://umeda.keizai.biz/headline/821/

ここでは、活動の延長として“若手アーティストやクリエイター、表現者に発表、発信の機会を提供する”事を目的にした『伝書鳩プロジェクト』というトーク、フォーラム企画を2011年、2012年と中之島4117、大阪市役所を会場に担当する事になったのだけど。https://denshobato.jimdo.com/
 
 ワオンプロジェクトという団体としては初の大阪市との直接的な共同企画であり、その事で予想以上に戸惑う事や苦労も数多くあったが、2年間の事業に関わらせていただいた期間中に、大阪のみならず関西各地の様々な若手表現者を約60組、幅広く紹介出来た事は、個人的には、これまでに周囲に認知されていた“若手アーティスト、クリエイターのインキュベーション団体”としての活動の集大成として、ひとまずは総括する事が出来たと考えている。(中之島4117、そして伝書鳩という事業自体は、残念ながら2012年に橋下市長就任に伴う大阪市政の変化の煽りを受けて途中終了)

4、活動2012年〜2017年(AAF、CA関西、日常避難所511、具体大学)
 しかしながら一方で、活動5年目を過ぎて。これまでの表現活動の当事者であるアーティスト、クリエイターに『場所や機会を提供する』という直接的な団体としての活動については『限界』と『問題点』を僕は今度は”自覚的”に感じつつあった。そしてそれは中之島4117の事業終了後に、2002年から『市民の主体的な参加によるアートフェスティバル』というコンセプトで毎年開催されていたアサヒアートフェスティバル(以下AAF)に全国の他団体の活動リサーチも兼ねて採択団体として2012年から2015年まで参加し交流する事で、より明確になった。http://www.asahi-artfes.net/

”せっかく海外から著名なアーティストを招聘したのに集客に困っている””精一杯活動を続けても、家族や関係者しか来てくれず、しかも高齢化が進んでいる””ギャラリーやアートイベントにそもそも足を運ばない人にどうアプローチしたらいいのか?””アートプロジェクトのボランティア経験を活かして、今後も関わりたいが、どうやってコンタクトしたらいいのだろうか?”

 つまり、スペースやイベントとしての活動として地域で発信しているだけでは(一部の既存層の取り込みに関してはともかくとして)例え、どれだけ質が高く、また運営側が一生懸命だったとしても、それを支える裾野の広がり、ボトムアップという面では、やはりそれだけでは効果や影響には『限界』があり、特に『新しく文化芸術に潜在的に関心のある層を取り込む”補助線”に関しては著しく不足している』という『問題』である。

 そうした問題を『間接的に文化芸術の裾野を広げる』事で、解決する為に、僕が2012年当時、次に考えたのが冒頭で述べた『文化のセーフティネットを創る』という新たな(そして2017年現在の)団体コンセプトの設定。具体的な新事業としては以下の3つだった。

 1つはAAFをシステム自体を参考に関西圏を中心とした『創造的な活動』をジャンルに拘りなく、自薦他薦問わずに毎年8月からWeb上で募集し、12月に授賞式を開催し表彰していく公募型アウォード『クリエイティブアウォード関西(以下CA関西)』。https://creativeaward.jimdo.com/
 そして中之島4117で同じく企画委員をしていたアサダワタル氏が提唱する“住居や個人事務所といったプライベートな空間をセミパブリック化させる活動である”住み開き”に影響を受けつつ、更に『日常避難』とコンセプトを拡大させた“24時間365日”の拠点運営である『日常避難所511』。
 最後が“文化芸術を見る人に補助線をひく”為の実験的な鑑賞プログラムとして“月1回の美術史講座”を軸にワークショップ、フィールドワークとし年間プログラムとして展開する『具体大学』である。https://gutaiuniversity.jimdo.com/

 『CA関西』ではAAFに団体として参加すると同時に、偶然にAAFの年度の採択団体を決める選考委員を2013年〜2015年まで3年間務めさせていただく経験の中で感じた“人と人の繋がり、ネットワークの力”を可視化する事業として、2013年から毎年、Web上で応募してくれた約50〜60の個人、団体の中からファイナリストとして10組前後、そして1組をその年のグランプリとしての表彰式を会場で開催してきた。
 『日常避難所511』では2012年から公民館に代表される公共の場や営利スペースでは“不可能な実験的なイベントや集まり”の『自己責任での引き受け』や、これまでの蓄積した団体としてのノウハウ公開を冒頭の様に年齢や性別、職業などに関係なく5年間で約5000人に無償で毎日行ってきた。
 2014年からスタートしている『具体大学』では毎月1回全10回で西洋美術史、日本美術史の講座を行いつつ、美術館やギャラリー巡りといったフィールドワーク企画も継続開催してきた。

 最終的な評価を下すには、まだ進行形ではあるが『CA関西』『日常避難所511』が日本経済新聞、NHKといった各種新聞、テレビなどのメディアで紹介されたり『具体大学』の各美術史講座のYouTube動画での再生回数が合計で10000再生回数を越えたり、現状においても『新しく文化芸術に潜在的に関心のある層を取り込むには著しく不足している』という問題に対する『間接的に文化芸術の裾野を広げる』活動としては『一定の成果を出せている』と2017年現在”補助線”としての活動成果に確かな手応えを感じ始めている。

5、おわりに
 活動10年の内、前半5年間を『若手アーティスト、クリエイターのインキュベーション』団体として直接的に表現者を応援し、後半5年間を『文化のセーフティネットを創る』団体として、間接的に文化芸術の裾野を広げる活動を自主的に有志で行ってきて合計10年の活動を簡単であるが、ここまで報告させていただいた。僕としては団体の事業が運営に関わっている様々なメンバーそれぞれの『日常生活の延長』として自覚的、自然に。そしてバランス良く行うように変遷し包括して着地してきている。とあらためて感じたが、ただそれは、単純に閉鎖的なニュアンス、そして『最終的な意味』では勿論ない。
 
 むしろ銀行員である僕、他の運営メンバーが日々、それぞれの専門分野を越境し、文化芸術に関しては『素人』として、感じた『シンプルな問題意識』に“素人感覚でおかしいと感じる時、それは大抵の場合、確実に何かがおかしいのだ”と信じて、実践を通して向き合ってきた過程における『現時点での一つの帰結』にしか過ぎないと、大阪、淀屋橋にある芝川ビルモダンテラスを会場に2017年3月に活動10周年を記念したイベントを無事に終えて考えているからだ。(写真)

 そしてそれは同時に、フランスの哲学者、リオタールが1979年に提唱した所の『大きな物語の終焉』した現在という時代において、『何かの大きなミッションを達成する為にひたすらに活動を続けていく』考え方にも一定の敬意を払いつつ、ワオンプロジェクトという団体全体としては、むしろ活動という『小さな可能性の物語』を複数、実践し継続していく事で『新たに見えてくる可能性”』により価値を見出しているからでもある。別の哲学者であるカースの言葉を借りれば『有限のゲームは勝つ事が目的であり、無限のゲームは戦い続けるためにプレーする』そう言い換えても良いかもしれない。

 既に、より広範な課題に関わる新たな物語として、大阪初となる“はちみつとフリーペーパーのお店”『はっち』という『食と本』をコンセプトにした実験的な店舗運営が2016年から新しく始まっていたり https://hatch2015.jimdo.com/
 働き方、生き方をパラレルキャリアを越えて新たに考えて更新していく『シナジーキャリア』という、100人以上が毎年訪れる年1回のシンポジウムを2012年から開催していたり。https://synergycarrier.jimdo.com/
 また孤独死、年金問題、介護などの福祉、死生観などの問題をあらためて考え、自立の道を探していくデスカフェ及び様々なプロジェクト『シングルスタイル』が2017年からスタートしていたり https://singlestylejapan.jimdo.com/
 他にも着実に日本の文化として存在を確立しつつある、漫画やアニメ、ゲームといったサブカルチャー全般の発信を応援する『漫画サロン伍壱壱』が2016年からスペース運営、まちあるきといった形で始まっていたり。https://mangasalon511.jimdo.com/

 そんな僕らにとって、そして“誰かが必要とする”企画が日々、領域を軽々と越え自然発生的に枝分かれして広がる無数の『小さな可能性の物語』その生態系『小さなカルチャー』となりつつあるワオンプロジェクトの『これから』を個人としても楽しみつつ。

 結果、より多くの人が『人が人として自由である為に文化芸術が必要である』と10年前の2007年当時の僕の様に感じてくれたらと願い、最後に『僕ら』が大切にしている崩壊前のベルリンの壁に描かれていたとされる『名もなき誰かの言葉』を以下に紹介して、ひとまず筆を置き、また『新たなプロジェクト』の実践の準備に戻ろうと思う。

『たくさんの小さな場所で、たくさんの小さな人々が、たくさんの小さなことをすれば、世界を変えられる』

(そう『僕』と『僕ら』ワオンプロジェクトは本気で信じている)



Posted by スナ@伝書鳩 at 20:16│Comments(0)
 
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